ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

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レクイエムの名手

2016年05月23日 01時28分22秒 | レバレッジリーディング

ジャズミュージシャンとしては、菊地成孔ダブ・セプテット、dCprG、ペペ・トルメント・アスカラールなど日本のジャズシーンを牽引する先鋭的なバンドを主宰する傍らで、女優・菊地凛子(Rinbjo名義)のソロCD「戒厳令」をはじめさまざまなアーティストのプロデュースも行い、さらに大学、音大、私塾での講師業、そしてラジオDJやテレビ出演など、多彩な活動を行っている菊地成孔。
加えて批評家としての文筆活動も活発で、ジャズ好きの方ならマイルス・デイヴィスについて論考した『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究(上巻・下巻)』(大谷能生 共著)や ジャズ理論であるバークリーメソッドについての研究を行った『憂鬱と官能を教えた学校』(大谷能生 共著)はご存じかもしれません。

今回ご紹介するのは、2015年10月に発表された近著、『レクイエムの名手』です。



『レクイエムの名手』 菊地成孔追悼文集 亜紀書房

この本は、菊地成孔がこの十数年の間に自分のホームページに掲載したり、TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」という番組で行った追悼を集めたもの。マイケル・ブレッカー、アリス・コルトレーン、ジョージ・ラッセルなどのジャズミュージシャンはもちろんですが、柳ジョージ、大瀧詠一、忌野清志郎、植木等、谷啓、加藤和彦などの日本人アーティスト、さらに立川談志、飯島愛、団鬼六まで、追悼する方の分野も多岐に亘っています。

中でも興味深いものは、菊地成孔と知己であった方への追悼です。

たとえば浅川マキの追悼で語られる新宿のライブハウス「ピットイン」でのエピソードは、追悼文とはいえあまりに面白く、申し訳ないことに爆笑してしまいました。しかしその後に続く文章からは、浅川マキさんと共に私たちが失った、アングラ、全共闘時代の「あの頃の新宿」の喪失感が伝わってきます。

特に私が感銘を受けた追悼は、後書きに掲載されているジャズ評論家、相倉久人へのものです。

後書きに加えられた理由はこの本が脱稿した後で亡くなったためのようですが、相倉久人というジャズ評論家は日本フリージャズの創生期に山下洋輔トリオなどを高く評価し、彼らの活動を支え続けたフリージャズの論客として有名な方でした。

晩年は菊地成孔を非常に良く可愛がりました。

その様子は孫を見る好々爺とでも言うべき情景でしたが(私は「結成40周年記念!山下洋輔トリオ復活祭」でその様子を目撃しました)そうした関係のきっかけとなる、緊張感のある最初の出会いのエピソードが綴られています。

当事者同士でしかわからなかったこと、しかもその片方の方が亡くなって初めて明かされるエピソードには、深い味わいと悲しみが満ちています。

優れた音楽家が亡くなっていくのは、仕方がないこととはいえ、ファンとしては残念なことです。
ただ幸運なのは、音楽家の演奏はレコードやCDでいつでも、そして何度でも聴くことができることです。
今夜はこの追悼文を読みながら、住環境が許す最大の音量で、残された素晴らしい音源を堪能したいと思います。



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