月刊オダサガ増刊号

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不可解な幼児 2 「早生まれと左利き」

2014-02-26 12:38:19 | 不可解な幼児


 そんな屈辱の日々もまたもや親の都合で終わってしまった。同じ広島市内にある別の社宅に引っ越したのであった。

 新しい社宅は名前こそ社宅ではあるが、平屋の一軒家で庭と縁側があった。昔ながらの風情がある家で、俺は毎日、縁側から出入りし、縁側を自分の部屋として与えられた。今思えば、縁側を俺の部屋にされたというのはずる賢い親の策略だったのかもしれない。細長いだけで、とても部屋などと呼べたシロモノではなかった。

 この頃から、今までよりさらに強者が闊歩する、幼稚園なる場所に毎日、通わされるようになった。たくちゃんとのデスマッチにも疲れたが、今度はバトルロイヤルである。

 俺は残念なことに早生まれだったため、体格的にはほとんどの幼児に劣っていた。

 幼児にとって、一番大切なのは駆けっこなどというくだらないものなのであるが、俺はその駆けっこが苦手であった。喧嘩ならたまに勝てるが駆けっこでは毎回負けていた。辛い日々であった。

 さらに俺の辛さに追い打ちもかけたのは、俺が左利きであるという事実であった。

 父親も母親も口を開けば右手を使えと呪文のように繰り返していたが、俺は頑として受け入れなかった。当たり前だ、なんでヤツラのそんな指図を聞かなければならないというのだ。

 俺は字も、箸も左手で頑張って練習した。しばらくするとだいぶ、上手に扱えるようになってきた。駆けっこでは負け続けの俺も字や箸は人並みに扱えるようになってきたことに生まれて初めての達成感というものを感じていた。

 ところが我が家によく遊びに来ていた、俺の3番目の友、尾崎しゃんから字も箸も右を使いなさいと言われた。尾崎しゃんは父親の仕事の後輩で、父親と違って信用のおける男だったので、俺はなんとなく従った。今から思えば、これは父親と母親の策略だったのであろう。外が敵だらけだというのに内にも敵がいるのではたまったものではない。

 右手で字を書き、箸を持つようになった俺は愕然とした。せっかく上手になってきたところで、また一からやり直しである。俺は駆けっこが遅いだけではなく、字も箸も駄目という、人並み以下の幼児になってしまった。

 それだけならまだよかったのだが、それを発端とした出来事はさらに俺を劣等感の沼に突き落とした。

 左右がわからなくなったのだ。

 幼稚園の教諭などというのは資格が必要なくせにやっていることはいい加減で、お箸を持つ方の手が右手です、などと適当なことを平気で言う。俺にとっては右も左もお箸を持つ方の手なのだ。もっと合理的にしっかり教えろと苦情でも言いたい気分であったが、当時はまだ苦情というものの存在を知らなかった。

 俺は駆けっこが遅く、字も下手で、箸も使いこなせない上に、左右もわからないという、全く取り柄のない幼児に成り下がってしまった。おまけに絵も駄目、粘土も駄目で回りの無神経なガキどもにすっかり舐められる存在になっていた。

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