仕事にしたって恋愛にしたって、もちろんのこと政治にしたって、話をすること以外に平和的な解決はないですね。
話すことでしか、ひととひとが互いに理解し合う方法はありません。
それは非常に苦しい作業でもあります。
家族であったり、兄弟であったりしても、分かり合うことは難しく、
それを赤の他人や、ましてや、国や文化が違う人と分かり合うことはなおさら難しいです。
大変時間がかかることです。
話せば話すほど相手のことが分からなくなってしまうかもしれません。
大変もどかしいことです。
最終的に分かり合うことなんて無理なのかもしれないと絶望するかもしれません。
これは誰一人として例外ではなく、私ですら不安なことです。
「自分のことを理解してもらえない」という不安。
「自分が言ったことで相手に誤解を与える」不安。
「いつか相手に対する理解や忍耐に限界がきてしまうかもしれない」不安。
すれちがっていってしまう不安。
不安が不安を呼び、話し合うことを恐れてしまう。
人間関係の破たんは、そこにあると思います。
そんなときどうすればいいのか、いまだに私もいい答えや方法を見つけられていませんが、
最近思うのは、「信じること」しかないのではないかと思います。
「きっと分かり合える」と自分を信じること。
「きっと分かり合える」と相手を信じること。
価値観や、言葉や、文化に差があって、どんなに時間がかかったとしても、
きっと互いに落ち着けるところがあると信じ、話すことをやめないことが大切なんだと思います。
話すことや分かり合うことをやめたり、あきらめてしまったりすることも簡単だし、
他人とかかわりあうことをやめてしまうことすら簡単にできてしまいますけど、
そこまで自分の生き方や価値観がご立派ではないのだから、
もっと他人や相手を信じて、話すこと、語り掛けること、時には待つことも、
人生を豊かにする方法なんではないかと最近思いました。