いつまでも童心のままだと思っていたのですが、ふとしたことで精神的な老いを感じます。
他人の若い生命力や若い感性を目の当たりにすると、その眩しさに目をやられる気持ちになりますし、
他人の未熟さに腹が立つどころか、なぜかこちらが優しく諭してしまいたくなる気持ちになります。
年々、自分の延びしろをなくしていく分、自分より若手の他者の延びしろに期待してしまうからかもしれません。
それに、ちょっとまえまで自分の気持ちを表に出すのを躊躇っていたのに、いつの間にか屁でもなくなっていたりします。
いろんなことを考えたり、推測したり、ときに遠慮したり恥ずかしがって、素直に徹しきれずにいたのにね。
いまでは自分の思ったことや考えたことをどうしてか、さらっとできたり、いえてしまい、そのせいで感動や達成感が薄れてしまっている気がします。
昔だったら、自分の思いを外に出してそれが伝わったときの喜びや、感動って絶対的だったのに。
これがアラサーの呪いなのかもしれません(苦笑。
いっつも高△先輩と飲みにいくたびに話すんですが、
「25歳と26歳は全然違う」
「26歳と27歳は全然違う」
「27歳と28歳は全然違う」
って。そしていま「28歳と29歳は全然違う」って思います。
25歳を過ぎてから一年一年自分の感受性や価値観が変わっていることに気づきます。
身体は確実に老い、仕事は中堅に。
日々なんとなく過ごしているけども、着実に年老いているのでしょう。
それを「成長」とするなら、少し寂しいことかもしれませんね。
他人の若い生命力や若い感性を目の当たりにすると、その眩しさに目をやられる気持ちになりますし、
他人の未熟さに腹が立つどころか、なぜかこちらが優しく諭してしまいたくなる気持ちになります。
年々、自分の延びしろをなくしていく分、自分より若手の他者の延びしろに期待してしまうからかもしれません。
それに、ちょっとまえまで自分の気持ちを表に出すのを躊躇っていたのに、いつの間にか屁でもなくなっていたりします。
いろんなことを考えたり、推測したり、ときに遠慮したり恥ずかしがって、素直に徹しきれずにいたのにね。
いまでは自分の思ったことや考えたことをどうしてか、さらっとできたり、いえてしまい、そのせいで感動や達成感が薄れてしまっている気がします。
昔だったら、自分の思いを外に出してそれが伝わったときの喜びや、感動って絶対的だったのに。
これがアラサーの呪いなのかもしれません(苦笑。
いっつも高△先輩と飲みにいくたびに話すんですが、
「25歳と26歳は全然違う」
「26歳と27歳は全然違う」
「27歳と28歳は全然違う」
って。そしていま「28歳と29歳は全然違う」って思います。
25歳を過ぎてから一年一年自分の感受性や価値観が変わっていることに気づきます。
身体は確実に老い、仕事は中堅に。
日々なんとなく過ごしているけども、着実に年老いているのでしょう。
それを「成長」とするなら、少し寂しいことかもしれませんね。