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◆ただ、

2015年06月27日 07時11分18秒 | 聖書

決して遠くへ行ってはならない。(出エジプト八・二八)

これは、暴君パロの口から発せられたずる賢いことばである。パロは、もしあわれな奴隷の境遇にあるイスラエル人が、エジプトから出て行かなければならないとすれば、あまり遠くへは行かせないようにしようと思った。すなわち、その武力の届かない所、そのスパイたちの目の及ばない所へは行かせまいとしたのである。同様に、世の人々は、私たちが旗色を鮮明にすることを好まず、もっと寛大であり、厳格すぎないようにと言うのである。
この世に対して死に、キリストと共に葬られることは、世の人に嘲笑される経験である。だから、この教えはすべて無視され、軽蔑さえされる。この世の知恵は妥協の道を勧め、何ごとも「ほどほどにせよ」と言う。この世の意見によれば、純潔であることは望ましいが、あまり厳しすぎてはならない。真実であることはもちろん良いことであるに違いないが、過ちを厳しく非難するのはいけないと言う。この世は言う。「信仰深いことはよいことだ。でもにぎやかな社交を拒んではいけない。時にはダンス・パーティーにも行き、クリスマスの時に劇場へ行くぐらいのことはさしつかえない。流行をけなしたり、世の人たちが皆していることに、声を大きくして反対して何になるのか」と。多くの信仰告白者は、このずる賢いことばにつり込まれて、永遠の滅亡に陥る。
もし私たちがすべてを打ち捨てて主に従いたいと思うならば、ただちに孤立の荒野に行き、肉の世のエジプトを後にしなければならない。この世の格言を捨て、この世の快楽、この世の宗教を捨て、主がそのきよめられた民を召された場所へ、遠く旅立たなければならない。町が火炎に包まれる時、私たちの家は町から遠く離れていればいるほどよい。疫病がはやる時、その地から遠く離れていればいるほどよい。毒蛇からは遠く離れていればいるほど安全である。そして世の俗習からは、離れていればいるほどよいのである。すべての真の信者に向かって、「彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ」とのラッパを吹き鳴らせ。

 

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