橋下市長にひれ伏す大阪市労連委員長の卑屈さと惨めさ、(大阪ダブル選挙の分析、その7)

 新春早々(1月4日)、朝日新聞の夕刊写真を見て驚いた。大阪市労働組合連合会(市労連)の中村委員長が、傲然として突っ立っている橋下市長の前で床に頭を擦り付けんばかりに最敬礼をしているではないか。「平身低頭」とはまさにこのことだろう。まるで“絶対君主”に対する“家臣”(召使)のような卑屈な態度だ。

 昼間のラジオニュースで市労連が勤務時間中の組合員の選挙活動について市長に謝罪したことを知っていたが、委員長個人がわざわざ市長室に出向き、マスメディアの前でこんな惨めな写真を撮らせたことは知らなかった。きっと橋下市長が「格好の宣伝場面」になると見て、マスメディアを総動員してその瞬間を待ち構えていたのだろう。

 夜のテレビニュースで改めてその場面を見たが、こちらの方は新聞写真以上にリアルだった。市労連委員長は直立不動で謝罪の言葉を述べ、庁内組合事務所の使用継続を要請したのに対して、橋下市長の方は組合の政治活動を激しく攻撃し、庁舎からの組合事務所退去を高圧的に要求するなど言いたい放題だった。これをボクシングの場面でいえば、組合が「棒立ち」状態で一方的に殴られ放しになっていたに等しい。

 しかも、最後の場面が傑作だった(というよりは、余りにも惨めだった)。市労連委員長が「今後の話し合いはマスコミのいないところで」(裏取引の意味か?)と追従笑いを浮かべて持ちかけたが、市長には「それは出来ない」と一蹴され、おまけに別れ際に握手をしようとしてにべもなく拒否された。市役所一家体制のなかで長年当局と慣れ合ってきた労組幹部(ダラ幹)の体質が、余すところなく暴露された瞬間だった。

 橋下氏が大阪府知事に就任した時、対する大阪府職労の態度はもっと毅然としたものだった。職員の待遇問題に関する交渉では深夜まで一歩も引かず(結果的には賃下げされたが)、労組幹部のみならず組合員個人も知事の主張に対して公開の席上で堂々と反論するなど、労働組合の正当な権利を主張する態度を崩さなかった。それにくらべて、市労連委員長のこの卑屈で惨めな態度はいったいなにゆえなのか。

 大阪市労連は、長年にわたる解同部落解放同盟)との“根がらみの癒着”によって、組合内部には現在においても外部に公表できないような数々の深刻な問題点を抱えている。本来ならば組合として自浄能力を発揮すべきところだが、悲しいことに組合中枢部と解同との「太いパイプ」の存在によって事態を解消できず、これまで自浄能力の発揮など望むべくもなかった。

 また、大阪ではこのような解同との癒着や組合の腐敗に対する市民の監視の目も著しく弱かったことも事態の解決を遅らせてきた一因だろう。大阪市政の実態を監視する数多くの市民団体があるにもかかわらず、なぜか解同問題(だけ)は避けて通る傾向があったことは否定できない。行政や組合とは直接関係のない市民団体の間でさえ、解同問題を真っ向から批判するパワーに不足していたのである。

 この点、京都市職労も同様の問題を抱えていたことは間違いない。しかし、弁護士・研究者・ライターなどを中心とする外部の市民団体「市民ウォッチャー」の飽くなき追求活動と行政訴訟活動を通してその実態が次第に明らかになり、市民世論の高まりのなかで市職労自身が漸く自らの問題として取り組むようになった。関西の自治体においては解同同和問題はそれほど重たい課題なのだ。

 中でも特筆されるのは、1990年に創刊された月刊誌『ねっとわーく京都』の存在だろう(私も現在コラムニストとして参加している)。同誌は2012年1月現在で277号を数えるが、その20年有余のバックナンバーを繰ってみると、同誌がどれだけ解同問題の追求と事実解明に力を注いできたかがよくわかる。また同誌は京都だけにとどまらず、解同問題に悩む全国自治体の同和行政担当者の得難い情報源ともなってきた。しかし京都と目の鼻の先の大阪では、『ねっとわーく京都』の問題提起に学ぶことは少なかった。

 今後、橋下市長は組合を「主敵」に位置づけ、組合攻撃を機軸にして市役所解体作業を進めるだろう。解同問題の不正を暴くことで市民の怒りを誘い、同和行政を解消して市政を立て直すのではなく、府市統合という「大阪都構想」を実現するための手段として同和問題を利用しようとするのである。だが、市労連幹部にはまだこの事態が正確に理解されていないらしい。だから、市労連委員長のように下手に出て、内密に話をすれば、何とか切り抜けられると思っているのである。(つづく)