冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

民間防衛>米国動画・音声

Desert Rock Iの心理的反応


核戦場での陸軍戦術機動演習Desert Rockシリーズ演習の最初の演習はOperation Buster-Jangle(1951)の中で実施された。

そのときの報告書には、演習における兵士たちの心理状態についての記述がある。

[seesaawiki.jp/transact Accession Number : ADA078556: " Exercise DESERT ROCK I" (1951/10)]

Abstract : The purpose of Exercise Desert Rock I was to test current doctrines to the extent afforded, to determine the effect of an atomic weapon of our equipment and materiel, to indoctrinate personnel, test their psychological reaction during the tactical employment of the weapon, and to the degree possible, determine what physical protective measures can be taken against the weapon. The Exercise was successful, and the mission assigned was accomplished. It is realized that no major change in doctrine can be developed from one test, but much valuable information has been obtained which, if correlated with data from other exercises, will furnish definite facts upon which to proceed.

デザートロックI演習の目的は、所与の範囲での現状のドクトリンの検証、我々の危機及び物資に対する原子兵器の効果の測定、将兵の教化と原子兵器の戦術使用時の心理反応の検証、原子兵器に対する物理的防護手段の可能な範囲での決定である。演習は成功し、予定のミッションは完了した。1回の実験では、大きなドクトリンの変更はできないことがわかった。しかし、他の演習のデータとの相関があれば、進むべき道の基礎となる明確な事実を提示することになる、貴重な情報が得られた。


P.122-125
Medical and Psychological report on operation Thundercloud
''オペレーションサンダークラウドの医学及び心理学報告

部隊への原子兵器の心理影響を調べる試みでは、結果は計測可能だが、確定的ではなく、疑問が残る。評価の限界は、問題に内在する限界である。反応はないだろうという先入観のために、既知の結果が出る巨大な実験が実施された。表面的妥当性が仮定できるとしても、適切な対照実験は実行できなかった。その他にも、苛立たせる風と塵と砂のある、くすんだ砂漠の環境に長期滞在することの単調さと孤立感、問題の性質に必然的に強いられるキャンプからの外出禁止と、延期と遅延、ネバダから出たいという兵士たちの短期など、評価を困難にする要素があった。これに加えて、戦闘団は志願兵の常設部隊であり、部隊への帰属意識と相互依存による強い紐帯があり、動機づけるための専門的訓練と高い部隊士気と誇りと虚勢がある。しかし、おそらく、軍随一の最良の講師たちによる集中的教化とリエンテーションと、徹底した計画、慎重なリハーサルと、平時の安全を確実にするために取る予防措置が、爆弾に対する合理的信条の構築の基礎となることを、すべてが実証している。

演習によって死と負傷と切断の危険性が排除された状況での、個人的恐怖や不安を調べようとすることは、問題にとって余計なことのように思われる。ミステリアスで、部分的にしか理解できない、巨大なスペクタクルの存在に直面した人々の、ほんの一面しか、我々が見聞きできない。同様に、多くの多様な心理評価者たちにとって明らかかつ、切に望むところである。世論調査とアンケートの時代であり、ここは無限の可能性のある、新たな未踏の地である。最終的な反応は、部隊における、心理学的人々と架空の反応を取り違える、ユーモラスで意図的な問題だった。

このような背景のもとで計測された結果は次のようなものだ。現実であれ空想上であれ、危険に直面したときの正常な反応と考えられる、恐怖と不安が見られた。爆弾投下前の憂き身な静寂の間、内面的緊張と不安が見られた。少し怖かったと言う者や、ナーバスになっていたと言う者がいた。多くが爆撃手が間違わないように祈った。まばゆい閃光、振り返り、座ったまま、厳格かつ予測可能な順序で展開する、幻想的で美しい光景、冷厳な激変に、シャープな反応があった。爆風と熱線のインパクトが、兵士たちの緊張を高まり、爆発の炸裂音でクライマックスを迎えた。2回目の炸裂音という、予定外の効果に明確な恐怖の反応があった。そして、緊張が解け、回復し、その後、不吉なキノコ雲が上昇していった。そして、何も起こらなかった。パニックも、ヒステリーも、逃亡も、混乱も、残留恐怖の行動や特徴もなかった。爽快感もなく、ほとんど熱狂もなかったが、すべての将兵たちが、究極の死と破壊の装置の悪しき可能性に、ひどく感銘を受けていた。全兵士は適切に行動し、冷静かつ現実的な反応を示し、ほぼ宿命のようで、日常生活の一面として受け入れた。平均的な米軍兵士には、感情的反応を表に出さず、口に出さず、戦争に関するすべてに関心を欠く傾向がある。

模擬攻撃地点への行軍の間、兵士たちは今見たことについて、驚くほど会話せず、大半の会話はそれとは無関係で、いつもの行軍で交わされる日常的で些末的なものだった。彼らの装備への効果や、外見的にはダメージを受けていない動物を見た後で、爆発中にいた防御地点に留まっていたかったか尋ねたところ、大半の兵士たちが、留まっていたかったと答えた。しかし、安全であるという気分は、非常に疑わしいものになっていたとも答えていた。自分たちの装備の最小限の破壊と、逆説的な羊たちの生存をみて、誰もが驚いていた。ほぼ無傷で歩き回る、これらの動物たちの姿は、生存へのカギであるフォックスフォールについて、最も印象的で説得力のあるデモンストレーションとなった。兵士たちは、知識と理解の増加とともに、自信を深めるのに役立ったと述べていた。あらゆる状況下で、この原子兵器は全生物を3つの潜在的力によって死に至らしめる1.5マイルの致死半径を持っており、壊滅的な精度で建物を吹き飛ばす力があることを、同時に念頭に置くなら、これが原子兵器の戦術利用における、最も重要な事実である。この事実は、自信を深めると同時に、この兵器をあまりに単純化したり、軽視したりする危険性を持つ。

焦げた草と燃えたユッカ平原について、兵士たちのコメントがあった。自分たちがモルモットとして使われたという気分になる兵士たちもいた。陸軍が原子兵器の効果を知っているなら、なぜ自分たちを使って、それを実証する必要があるのかと。過大評価された爆弾の最初の地味な爆発の後、懐疑的な意見を言う兵士たちがいた。その意見は、前方領域の被害調査によっても、完全には払拭されなかった。前方地点へ移動するオブザーバーたちのバスを先行させるために、戦術機動の行軍を一時停止させたことで、現実味が失われたとの声もあった。しかし、これは演習のタイミングと仕掛け上、避けがたいものだった。平時の安全性にとって問題があまりに骨抜きにされすぎているとの声や、あまりも多くのモニターの存在のために、安全性の強調が疑わしく思えるとの声もあった。しかし、これらの齟齬にもかかわらず、軍事ドクトリン開発のために重要となる、類例のない戦術機動に先駆者として参加したという、誇りと言葉にできない歴史に感覚を、誰もが共通して持っていた。これが彼らの行動に作用し、心理的反応をサポートした。








コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます