東海大学事件
事件の経緯
1990年
4月23日 患者が東海大学病院に入院
4月27日 家族に多発性骨髄腫の疑いがあると説明(新聞では5月14日にされたとあるが、裁判記録によればこの日に長男にはじめて告知された。このような日付の相違は他にもあるが、重要なところ以外指摘しないことにする)
6月21日 退院(職場にも復帰)
12月4日 再入院
1991年
4月1日 人事異動により徳永医師が患者の主治医となる
4月8日 脳障害のため痙攣発作を起こす
4月9日 依然として発作に苦しめられる
家族が患者の治療の中止(チューブと点滴の抜管)を医者に訴えるが、研修医・教授からの説得によりひとまず落ち着く
4月10日
患者の妻が睡眠剤(コントロミン)の投与を中断して欲しいと研修医に訴える
しかし、中止の指示が当直医に伝わっておらず、投薬してしまう
家族は投薬したことに対し非常に強い不信感を持ち、研修医を問い詰める
研修医は信頼関係の崩壊を理由に、この患者の治療からはなれることに
当初は講師・助手・研修医の3人によるチーム治療をする計画であったが、研修医が患者の家族とそりがあわず治療から離れたため、あまり機能しなくなった
徳田医師が治療の中心となる
4月11日
長男が患者の死期が近づいた時に点滴やチューブの抜管を希望したが、徳田医師は「それはできない」と反対。「呼吸や心臓が止まっても、蘇生術は行なわないことにする」と発言。
4月12日
患者の舌が咽喉におちこみ、呼吸が苦しくなったためエアウェイという器具を口の中に入れる
患者は深い昏睡状態に陥り、反応は全くなくなる
4月13日(事件当日)
患者の妻が点滴やチューブの抜管、痰の吸引の中止を希望
11:20
徳田医師の指示により、点滴やチューブの抜管がされる(このことは教授・講師になんの相談もされていなかった。つまり徳田医師の独断で行なわれた)
17:30
患者の呼吸が荒いのは咽喉に入れた器具のためと思い、息子がエアウェイの除去を申し入れる(このような時、通常は気管切開を行なう)
17:45
徳田医師がエアウェイを除去する。しかし呼吸は楽にならなかったため再び器具を入れる
18:00
息子が「苦しそうで見ているのがつらい、楽にしてやって欲しい。早く家につれに帰りたい」と訴える(このとき患者の妻はこの場にいなかった)
徳田医師は精神安定剤(ホリゾン)2アンプルを投与 → 状態に変化なし
19:00
息子は相変わらず、「楽にしてやってくれ」と訴える
徳田医師は坑精神剤(セレネース)を2アンプル(通常の倍の量)投与 → 状態に変化なし
19:45
徳田医師は食事に行っていたがポケットベルにて呼び出される
20:00
息子が「早く楽にしてくれとお願いしているのに父は依然として楽にならない。はやくつれて帰りたい」と強く訴える
徳田医師が不整脈治療剤(ワラソン)と、塩化カリウム原液を用意
ワラソンを急速に静脈注射する → 効果なし
(ワラソンは脈拍の速い患者に対し、脈拍を減らす効果を持つ。急速に投与したことで心停止を狙ったとされても仕方のない行為)
塩化カリウムの原液を20cc投与
患者の死亡を確認
(新聞記事及び三輪和雄著『安楽死裁判』(ライブラリー潮出版社)を参考に作成)
それぞれの主張
家族側は「命を絶つ薬なら投与を断っていた」
医師側は「『早く楽に』という家族の依頼は本人の意思を代弁したと推定でき、穏やかな死を願って行なった被告の行為は安楽死に準ずる(情状酌量の余地がある)」
東海大学安楽死事件
佐賀新聞 2002/03/29
「患者や家族の心の声を聞くような医師になってほしい」。安楽死をめぐって初めて殺人罪に問われた元東海大病院の医師の二十八日の横浜地裁判決。安楽死に新しい基準を示した松浦繁裁判長は最後に被告の**医師(38)にこう語り掛けた。(1面参照)
午前十時、松浦裁判長の太い声が横浜地裁の六○二号法廷に響いた。「主文、被告人を懲役二年に処する。ただし刑の執行を二年間猶予する」。事件から四年近くの苦悩の日々が肩にのしかかるように、**医師は主文を聞き終えると深々と頭を下げた。
「将来ある医師を早く復帰させたい」と尽力してきた弁護団は、その瞬間納得するように二度三度とうなずいた。一方の検察側は、無表情に前を見据えた。
極限の終末医療現場でのかっとう。**医師は時折、目を伏せながら判決に聞き入っていたが、薬剤を注入した場面が再現されると、重く首をうなだれていた。
松浦裁判長が最後に「被告には誤った一歩だったが、末期医療の歩みの一歩になるように願う」と語り掛けると、**医師は「はい」とうなずいた。
この日、地裁には傍聴人二百人以上が列をつくった。東京都国分寺市の不動産業**さん(49)は「自分が、患者や家族だったらと思うと、周囲に迷惑をかけるのが嫌なので安楽死≠ヘ認めるべきだと思う」と話していた。
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〈医師の意識に変化の兆し〉
東海大「安楽死」事件は、末期患者への対応が欧米などに比べ大幅に遅れていた日本の医療の未熟さを露呈した事件だった。事件の発覚から間もなく四年。「延命至上主義」が支配していた医療現場は変わったのか。
日本赤十字社医療センター(東京都渋谷区)の森岡恭彦院長と竹中文良外科部長が今年、院内の医師百十人に聞いたところ、末期がん患者に「積極的な治療を行う」と答えた医師は一六%と、五年前の調査の四分の一以下に減った。代わりに「対症療法で経過をみる」が大幅に増えた。
「この答えから、現実の治療が大きく変わったとするのはまだ早い」と竹中部長は厳しい見方をするが、医師の意識に変化が起き始めているのは確かなようだ。
日本尊厳死協会(会員約七万一千人)の遺族アンケートでは、無理な延命措置は拒否すると宣言した同協会のリビングウイルを受け入れてくれた医療機関は昨年、九六%に上ったという。
末期医療への関心を高めた背景には、痛みの緩和や心のケアに重点を置くホスピスの広がりがある。厚生省が承認した「緩和ケア病棟」は全国で十四施設。半数は東海大事件以降に承認を受けており、ホスピスへの関心がここ数年、急速に高まったことを裏付けている。
だが「ホスピスの絶対数はまだまだ足りない」と、救世軍清瀬病院で初代のホスピス牧師を務めた中島修平さん(44)=東京都清瀬市。中島さんは、妻のホスピス医師、美知子さん(46)と、新しい在宅ホスピス医院を開く準備を進めている。「末期ケアが行き届けば、安楽死を求める人などいなくなる」。これが中島さんらの実感だという。
尊厳死、東海大事件判決の影響
佐賀新聞 1995/04/16
末期がん患者に医師が塩化カリウムを注射して死亡させた東海大「安楽死」事件の判決が三月末、横浜地裁で言い渡された。医師による積極的安楽死が許される四要件を示して注目を集めた判決だが、医療現場に、より大きな影響を与えそうなのは、無理な延命治療を中止する「尊厳死」を初めて正面から認めた点だ。しかも治療を中止する際に必要とさ
れる「本人の意思」について判決は、家族の意思表示から推定してもよいとした。日本の医療現場で、あまりに大きい家族の存在。判決が末期医療の今後に投げ掛けた課題を、医師らに聞いた。
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「現実的」と評価
「家族の意思でも治療を中止できる」との判断を、現場の医師の多くは「現実的」と評価する。患者が自分の意思を表明できないことが珍しくない末期には、家族と相談して治療方針を決めるのが、むしろ一般的な傾向だからだ。
末期医療に関する自分の希望を、文書や口頭で事前に明らかにしておく人は極めて少ない。また末期患者の多くは、自分の病名や今後の経過をはっきり知らされていないため「延命治療などについて家族と話し合う機会もない」(千葉県内の大学病院勤務医)ことも背景にある。
患者の最も身近な存在で、患者の考えを一番よく理解できる立場にある家族。しかし「その判断が患者の意思と一致しているのか」と医師を戸惑わせることも少なくない。
死への思いに「ずれ」
日本赤十字社医療センター(東京都渋谷区)の折津愈(まさる)呼吸器内科部長は、最近の末期医療の傾向について「静かな最期を望む人が増え、心肺停止後の心臓マッサージもあまりやらなくなった」と話す。
だが一方で「少しでも延命を」と強く希望する家族もいる。「私たちは家族の希望を尊重して対応せざるを得ないが、本人が望む死と、家族が望む死、そして私たち医療者がこうしてあげたいと考える死の間にずれを感じることも多い」と折津部長。
同センターの竹中文良外科部長は、末期患者の家族から「早く楽にしてくれ」と、暗に「決着」を求められた経験が何度かあるという。そのたびに「一人の人との別れの時は、そんなに安易には来ない」とたしなめた。
竹中部長は「家族も生身の人間。介護に疲れ果て、正常な判断ができなくなることもある。医師は、それに引きずられないような心構えが必要」と語る。
多忙な医療現場
今回の判決で「患者が横に置かれたまま、医師と家族の間で事が決まり、進んでいく現状が助長されるのでは」(柏木哲夫・大阪大人間科学部教授)と心配する声もある。
この点について、生命倫理に詳しい星野一正・京大名誉教授は「家族の意思で治療中止を認める前提として、患者の人生観や家族との関係を医師が把握するよう求めるなど、判決は丁寧に条件を列挙している。これがすべて実行されれば、患者の意思を推定できる」とみる。
しかし、極めて多忙な医療現場では「家族の意思でよい」との結論だけが独り歩きする危険がある、とも指摘する星野教授は「判決は、実はかなり重い責務を医師に課した。医師にこの点をぜひ理解してほしい」と話している。