食の足る足らざる
明末清初の実学者、唐甄(1630−1704)は『潜書』養重で、こう述べているという。
「夫れ荊士・駱士の其の節を守る能はざるは、食足らざればなり。殷士の能く其の節を守るは、食足ればなり。節の立つ立たざるは、食の足る足らざるによる。食の人に于(う)ける、豈に重からざらんや」
ここで節を守るとはじぶんの信ずる考えや信念、志、さらには行動を曲げることなく一貫することだろう。それが出来ず変節することがあるのは、やはり食である。食えなければ致し方ない。メシが食えないことほどツライことはない。
しかし昨今は、食足りている方々のなかにも容易に節を曲げる人もいるようだ。食足りてなお、人を変節させるはカネだろうか。
ここで、「食の人に于(う)ける」とは食が足りるということだろう。食い、エネルギーを取り入れるはキホンだな。これを無視して人性は語れぬか。