宮城県石巻市の南浜町、そこに看板が建っています。
【がんばろう!石巻】
そこで、道路を隔てて向かい側を見ると別の看板が建っています。
【全国からの御支援ありがとうございます
がんばっぺ石巻 味平石巻やきそば】
文字通り“石巻焼きそば”のお店だった場所。先日、この看板の場所で店長さんにお会いしました。
≪2011年11月のB-1グランプリで「石巻茶色い焼きそばアカデミー」を出店して六位入賞!≫
お店は津波でやられましたが、その後も愛用のヘラを手に、日本中を飛び回りながら“石巻焼きそば”を焼き続けていました。笑顔でパワフルな方でした。
「(震災の時は)私も津波にのまれたんだよ。津波に体を持って行かれて、何分くらい流されたか分からないけど、何とか水面に出て、流れてきた柱や家の屋根につかまって、何とか助かったんだよ。さすがにあの時は『もう死ぬんだな~』と思ったね...」
何とか助かったと思ったら、奥さんの姿はもう、どこにも見当たりませんでした。お腹が痛み出したと思ったら、自分の肋骨も三本折れていました。奥さんを探しに戻りたかったのですが、一面が火の海で近付けませんでした。
「...結局、津波にのまれる直前の『お父さん、津波だ~』が、妻から聞いた最後の声だったね。未だに見つかってないんだよ...」
話によると、奥さんの葬儀を2011年12月に上げたのですが、今でも行方不明の状態です。
「...でもね、下を向いてるヒマは無かったからね。震災後にこの辺り(被災した地域)を見ると、みんな笑顔が無くなってたでしょ。だから、被災した人たちにおいしい石巻焼きそばを食べてもらって、ここにもう一度、笑顔を取り戻したかったんだよね。」
その他にも、津波後にどうやって生き抜いたか...今後はどうする予定なのか...など、いろいろな話を聞きました。
最後に、御自身が取り上げられた新聞記事の切り抜きを見せてくれました。
見出しには…
大きく『妻との約束』
「震災から10日後位に店を片付けてた時に、中からヘラが二枚出てきたんだよ。不思議なことに、他の物(調理器具)は火災になったおかげで真っ黒焦げなのに、この二枚のヘラだけは焦げてもいなかったんだよ。しかも、それは私のヘラじゃなくて、妻の愛用のヘラだったのさ。それを見た娘からは『お母さんが、また焼きそばを作れって言ってるんじゃない?』って言われてね。
そこで、震災前に妻と交わした“約束”を思い出したんだよ…
『これからの二人の人生で、どんな困難があっても、辛いこと、嫌なことがあっても、焼きそば屋さんだけは絶対に続けよう。おいしい焼きそばを通して、日本中の人たちを笑顔にしようね!』
そんな時に『B-1グランプリに出てみないか?』って誘いがあってね。妻とも『参加してみたいね!』って話してたからさ。『よ~し、やってやるか!』と思ってね…
今は、妻との約束を守るために全国を駆け回ってるよ!」
『夫婦の絆』
それは、どんな困難にも負けない“本当の強さ”だと感じました。