父はこうして母を介護し、そして亡くなった。

15年にわたり母を介護した、そして亡くなった父。
彼の残した日記を読んでみることにしようと思う。

1993年1月14日 母、居眠りしてリハビリに遅刻する。

2014-05-23 00:48:44 | 日記
●病院に戻って早くも半月。リハビリの疲れも出てくる頃である。それだけ回復してきていたということでもあると思うが。

[1993年1月14日(木)]
・午前中雑用。午後病院へ。14時20分になったのに車椅子で居眠りしていた。起こしてリハビリに急ぐ。危うく遅刻するところだった。うっかり寝てしまったのだろう。少し疲れたのか。

・リハビリ終わり、風呂へ。さっぱり。着替え終え、焼いて持参したホットケーキうまそうに食べる。

・リハビリの時間注意し、17時近く病院出る。

[1993年1月15日(金)]
・仕事。病院へは行けず。

・(1993年も)忽ち半月過ぎる。あれもこれもと思ううちに時間ばかりが過ぎる感じだ。

[1993年1月16日(土)]
・昼食に間に合うよう病院へ。F先生とN先生が見えていて、一緒に話していた。昼食が運ばれてきたのを見て(お二人は)帰る。遠いところ本当に申し訳なく、恐縮するばかりです。感謝申し上げます。

・食後、廊下の手摺に掴まって立ち上がり移動練習。好物のアンパン1個食べる。看護士さんにも差し上げる。

・明日の水治療法の用意し、16時30分頃病院出る。

・高額医療支給申請用紙、会社(Tさん)より数部送ってもらう。来週提出予定。

[1993年1月17日(日)]
・仕事。病院には行けず。

・K氏(母次兄)、病院に来ていただく。

[1993年1月18日(月)]
・午前中、団地事務所、銀行。のち、品物の整理、搬入作業。

・午後病院へ。リハビリ終了前に着けた。H先生休みのため、代わってA先生(女性)の指導でやっていた。台に腰掛けるとき、転んだというが、別に怪我などはなかったとのこと。

・歩行の場合、足の出し方も自分で気をつけるらしく、少しは良くなったように思える。

・昨日、K氏(母次兄)が来てくれたと聞く。夜御礼の電話。

●この頃、私も運べる荷物を引っ越し先に運んでいた。ジムニーに一杯荷物積んで、2往復したこともあった気がする。

●Y団地は風通しがよく(4階だったし)、エアコンを使っていなかった。乗ってた頃だな。引っ越し先は1階だし、風通りのあまりよくないロケーションなので、「エアコンつけないと」とアドアイスしたのだが、父は頑として言うことを聞かなかった。本当の本音は「金を使いたくない」という事だったのだが、「エアコンは体に悪い」「あまり楽してはいけない」とか言い続け、もめていた。

●この頃はまだ寒かったからよかったが、5月ごろには暑さが身に染むようになったらしく、結局購入するのだが。

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