みどりの一期一会

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谷野作太郎・元駐中国大使に聞く/下 「河野談話」「村山談話」・・/上 摩擦強まる日中関係・・

2013-08-29 15:40:15 | ほん/新聞/ニュース
高砂百合とサギソウが咲いているので、写真を撮ろうと思ったら、
デジカメの電源がはいらず、うんともすんとも言いません。

バッテリー切れだろうと思って、満充電の新しいバッテリーに替えたのですが動かず。
ちょっと前から電源が入らなかったことが時どきあるので
どうやら、デジカメ本体の問題のようです。

このニコンの「ニコンクールピクスS8200」は昨年2月にカメラのキタムラで買ってから
まだ1年半で、前のリコーのほど酷使してないのですが・・・。
修理に持ってかないといけないのですが、デジカメなしだと不便だし、
夕方以降しか外に出られないので面倒。

いずれにしても、
当分はデジカメ画像なしで、文章だけの記事になりそうです。

ということで、
昨日おもしろかったとお知らせした、特集ワイド「谷野作太郎・元駐中国大使に聞く」上・下を紹介します。

  特集ワイド:谷野作太郎・元駐中国大使に聞く/下 「河野談話」「村山談話」 「痛み」日本人として共有を
毎日新聞 2013年08月28日 東京夕刊

 中国、韓国との関係が悪化する中、従軍慰安婦に関する「河野談話」(1993年)、「痛切な反省と心からのおわび」を表明した戦後50年の「村山談話」(95年)を否定するかのような動きがある。二つの談話作成に内閣外政審議室長として関わった谷野作太郎・元駐中国大使(77)が経緯などを明かす。【浦松丈二】

 ◇歴史の歪曲や開き直り 国の品格、誇り傷つける

 −−「河野談話」には「証拠もないのに日本軍の強制連行を認めている」との批判もある。他方、これは誤解とする向きもあるようですが。

 谷野 おっしゃるように「河野談話」を批判する人は、談話に書いていないところまで内容を膨らませ、その点を批判している。おかしなことです。女性の多くは集められた後、軍と行動を共にすることを余儀なくされ、前線で厳格な軍の管理下に置かれ、行動の自由はなかった。まかないや看護師の仕事と言われ、連れて来られたケースも多々ある。現地で現実を知り「話が違う」と逃げ帰ろうとしても、そこは前線です。あの談話はそういう世界を記述したものなのです。

 私の韓国の友人。この人は日本の学校を出た人で私と同じ年ですが、彼は「子供のころ、自分の村では年ごろの娘を外に出すなと言われたものだ。それでも彼女らが横付けされたトラックに乗せられ、泣き叫びながら連れ去られていくのを目にしたことがある。そこにはオマワリやヘイタイもいた……」と。竹島(韓国名・独島)の話では冷静さを保つ彼も、この話になると大変感情的になります。

 −−元慰安婦の女性に償い金を払う「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の設立(95年)にも奔走なさいましたね。

 谷野 日本は「女性基金」を設立し、オールジャパンで精いっぱいの対応をしてきました。韓国だけは「日本国としての謝罪と補償」を要求する市民団体の圧力に直面し、「基金」の事業は中途半端で終わらざるをえなかった。しかし、「謝罪」は「河野談話」や慰安婦だった人たちにお渡しした総理書簡に表明されているし、お渡ししている償い金の半分以上は日本政府支出によるものです。

 韓国政府も当初、「基金事業のスタートをもって問題は解決した」と言っていたんですが、最近になって「未解決」と言い始めました。突然「情」(韓国で言えば「恨」の感情)が頭をもたげた。

 もとより従軍慰安婦や戦後補償の問題は「カネですべてすんだんじゃないか」と開き直れる世界ではない。日本側の所作で心身に深い傷を負った人たちの「痛み」を日本人として共有することこそ最も大事なことだと思います。

 −−いわゆる「村山談話」を出した経緯は。

 谷野 「村山談話」という言い方が定着してしまったので、あれは、一部では社会党委員長である村山富市さんが個人的所感を述べたものに過ぎないという受け止め方があります。しかし、あの談話は閣議を通した談話ですから「戦後50年に際しての日本国総理大臣談話」というべきものです。もっとも村山首相の下にあった内閣だからこそ、あのような「談話」ができたというのも事実でしょう。

 当時の内閣は、自民、社会、さきがけの3党連立内閣。自民党内には「歴史」について一家言のある閣僚方がいらっしゃいました。この方々には野坂浩賢官房長官自ら事前に話をされたようです。日本遺族会会長だった橋本龍太郎元首相(当時は通産相)には村山首相自ら話をされました。その結果、談話原案では2カ所で「敗戦」「終戦」と書き分けてあったのを「敗戦」にそろえてはどうかというご意見を橋本元首相からいただき、その通りにしました。

 後で橋本元首相は「遺族会の大多数の人たちは、自分たちの夫、兄弟、父親は無謀な戦争に駆り立てられて亡くなった犠牲者だと思っている。だから『敗戦』でいいんだ。ただ、今日の日本の平和と繁栄はこの人たちの犠牲の上にあるということを忘れてはいけない」とお話しになっていました。

 あの年、戦後50周年に際していくつかの決議や声明が出ました。中曽根康弘元首相は「『歴史認識』の問題を国会決議にゆだねるのはいけない。与野党間のせめぎ合いと妥協の結果、どうしても中途半端な内容になる。やるなら、政府がきちんとしたものを書くべきだ」と私たちにお話しになっていました。「さすがだなあ」と思いましたね。

 −−村山談話は国内外でどう受け止められましたか。

 谷野 「談話」の評価は、国内メディアは「明快」(毎日)「6月の国会の決議があまりに後ろ向きだっただけに、これで日本はきちんとけじめをつけた」(日経)などおおむね好意的でした。海外の反応も同様に前向きなものでしたが、中国、韓国は「日本は今後、この談話に盛り込まれた精神をどう具体的な行動に表していくか。我々はそのことを注目している」との趣旨でした。

 戦後の歴代政権はいわゆる「戦後補償」の問題について真剣に取り組んできました。村山内閣は「女性基金」だけでなく在サハリンの朝鮮の人の帰国、台湾住民の確定債務問題(未払いの軍事郵便貯金の払い戻しなど)の処理に真剣に取り組みました。無論、それでもなお国内外に日本の対応への不満が残っていることは承知しておりますが、この種のことは双方100%満足というわけにはなかなかゆきません。

 −−安倍晋三首相は15日の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が表明していたアジア諸国に対する加害の「反省」や「不戦の誓い」を表明しませんでした。

 谷野 中国や韓国、そして米国などがいら立つのは過去の一時期の「歴史」について、時折、日本の有力な方々がこれを歪曲(わいきょく)したり、開き直ったりされる言動についてです。それは日本に対する国際社会の目線を下げ、日本人の品格、誇りを最も深いところで傷つけることになる。でも、安倍首相はいろいろなところでおっしゃっているところからみても、決してそんな方ではないと思います。

 −−集団的自衛権の行使を容認し米国との関係を強化しようという意見があります。憲法改正を含め中国、韓国は「右傾化」と批判しています。

 谷野 ピント外れな言い方だと思いますね。しかし、そのような先方の誤解をただすためにも、ハイレベルの日中、日韓政治・外交関係の正常化が望まれます。

 日本側では尖閣が日米安保条約(第5条)の適用範囲に入っているか否かということに関心が向かいがちですが、その前に自分の領土は自らの手で守るという気概こそが必要でしょう。それでこそ米国の支援が受けられる。今の政権下でこの面で施策が講じられつつあるのは当然なことだと思っています。(敬称略)

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 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
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 ■人物略歴
 ◇たにの・さくたろう
 1936年生まれ。東京大法学部卒。60年外務省入省。アジア局長、内閣外政審議室長を経て95年駐インド大使、98年駐中国大使。2001年退官。12年から日中友好会館顧問。


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  特集ワイド:谷野作太郎・元駐中国大使に聞く/上 摩擦強まる日中関係 尖閣問題に乗っ取られるな
毎日新聞 2013年08月27日 東京夕刊

 日本と中国、韓国との関係がかつてないほど悪化している。谷野作太郎・元駐中国大使(77)は冷戦崩壊後の対アジア外交の最前線に立ってきた。従軍慰安婦に関する「河野談話」、戦後50年の「村山談話」の作成にも携わった谷野氏は現状をどう見ているのか。前編は尖閣問題について聞く。【浦松丈二】

 ◇歴史的には日台中の「共通の生活圏」だった
 −−非営利団体「言論NPO」が今月まとめた日中共同世論調査では、相手国に「良くない印象を持っている」と答えた人の割合が日中共に9割を超えました。

 谷野 日中両国の将来を考えてさまざまな交流事業に携わってきた日本側の関係者は、ひとしく強い挫折感を味わっているのが現状だと思います。もっとも、こういう時こそ両国関係に民(たみ)の力、若者の力、地方の力を注入しなければなりません。中国でも困難に直面した時、「以民促官(民の力をもって頭の固い政治家や中央の役人たちを動かそう)」ということがよく言われますからね。

 尖閣の問題については、日本は筋を通して対応していくことが重要です。しかし、あの島の問題に大切な日中、中日関係が乗っ取られるようなことがあってはならない。両国の政治リーダーたちがその思いを共有して知恵を出し、勇気を持って今のトンネルを抜け出してもらいたい。

 それにしても日中関係に深く霧が立ちこめる中で、反中、嫌中報道を競い合う日本の一部メディア、週刊誌はちょっと異常ですね。最近はこれに加えて嫌韓・反韓。ひとたび風が吹くと一斉にそちらになびく。戦前を思わせるという人さえいます。無論、マイナスの材料を提供する中国、韓国も悪いのですが。でも、ある日本メディアのOBは最近の日本国内の中国報道について「大きな声の陰にかくれた小さな声、理性的な意見を拾い上げる努力を怠り、国民感情のバランサーとしての役割を放棄している」と話しておられます。世論調査の結果もそのようなメディア報道に多分に影響されているのでしょう。

 −−谷野さんは退官後、青少年交流などさまざまな日中交流事業に携わってきました。

 谷野 今回の尖閣のように日本の対応が意にそわないと「政治」が前面に出てきて、本来関係のないいろいろな交流までも止めるという中国のやり方には強い違和感を覚えますね。各界有識者による新日中友好21世紀委員会も中国側の意向で止まってしまっています。今のような時期こそ、相手がどう考えているかを知る上でこのような交流は必要なのですが。

 私が関わってきた日中青少年交流事業は1回に200人、300人のオーダーで学生たちを受け入れるため、その準備は大変です。苦労して交流パートナー校を見つけ、ホームステイ先も決めていく。準備万端整ったところで突然、中国側から延期、中止と言ってくる。すると、受け入れ先は「これからは中国からの受け入れはもう辞退したい」となる。日本のそこかしこに嫌中感情が広がってしまう。何とも残念なことです。

 −−尖閣問題は日中双方が主張を言いつのり、両国関係に大きな摩擦、不利益が発生しています。

 谷野 中国の主張で違和感を覚えるのは、この問題を「歴史の屈辱」の文脈に置いたことです。日本は1890年代、弱体化をたどる清朝の弱みにつけ込んで、あの島を「盗み取った」と。こう言えば中国の人たちの胸にストンと落ちるだろうということなのでしょうが、在日中国人の私の友人にも「あれは言い過ぎ。何ら生産的な議論に結び付かない」と内々に漏らす向きがあります。

 尖閣については日本の主張を中国に、そして国際社会に訴えていくのは言うまでもないことでしょう。「解決すべき領有権の問題は存在しない」が日本政府の立場です。これはくしくも竹島について韓国政府が取っている立場と同じです。しかし、ここで韓国と日本が違うのは、韓国は何とブータンのようなところにおいてまでテレビの時間帯を買い取って「独島は我らの島」と領有権を宣伝しています。尖閣の国際PRの点で日本は「解決すべき領有権の問題はない」「従ってPRの必要もない」ということでおとなしすぎました。もっとも最近は日本政府も、この点では随分変わったようですが。

 −−最近、尖閣問題の棚上げを日中首脳間で合意していたかどうかが議論になっています。真相は?

 谷野 1972年の国交正常化以降、日中首脳間でこの問題についてやりとりがあった時、私はその場に居合わせたことがないのではっきりしたことは申し上げられません。しかし、あの時の外務省担当者たちは「(少なくとも領有権問題の棚上げについて)はっきりした合意はなかった」と言っているので多分そうなのでしょう。恐らく最高実力者のトウ小平さんが「棚上げ」と言い、日本側はそれにあえて異論を唱えず、聞き置いたということではないでしょうか。園田直元外相は79年の衆院外務委員会で「(尖閣については)20年、30年、いまのままじっとしておく方がよい。今のような状態で通すことが日本の利益からいってもありがたい」という趣旨を述べています。

 その後も「尖閣の現状を変えない」という強い政治レベルの意思があったことは事実です。だから日本政府はあの島々を平穏かつ安定的に維持管理していくために、政府関係者以外は島への上陸を原則認めない措置を取っていたわけです。日本はあの島を有効に支配していましたから、それでよかったわけですね。

 −−ところが昨秋、日本政府は尖閣を国有化し、中国側が猛反発しています。マイナスの影響を小さくしていく知恵はないものでしょうか。

 谷野 尖閣について、あの島々は「古来、日本の領土」「古来、中国の領土」という硬い言い方は、私自身ちょっとひっかかります。中国は島の存在を認知していただけ。一方、日本は明治になって間もなく「廃琉(はいりゅう)置県」(いわゆる琉球処分)があり、1895(明治28)年に正式な手続きを経てこれを日本の領土としたわけです。しかし、それもせいぜい120〜130年前の話です。

 それまで、あの海域は琉球、台湾、中国福建省などが共有する「生活圏」だったのです。沖縄の有識者の方々の間ではそのような考え方が強い。日本の領有権の問題は譲ることはできませんが、その上で日本、台湾、中国の間で「共通の生活圏」というやわらかい考え方を共有し、そこから何か解決の糸口を見つけることはできないものか、と思っています。(敬称略)

   ×   ×
 後編は「河野談話」「村山談話」について聞く。

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 ■人物略歴
 ◇たにの・さくたろう
 1936年生まれ。東京大法学部卒。60年外務省入省。鈴木善幸首相秘書官、駐韓国公使、アジア局長、内閣外政審議室長を経て95年駐インド大使、98年駐中国大使。アジア局長時代に日朝国交正常化交渉、天皇訪中、駐中国大使時代には江沢民国家主席の訪日(98年)に携わった。2001年退官。12年から日中友好会館顧問。


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