地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」鑑賞録。外界との距離感

2015年10月11日 | 読み聞き日記
映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』予告編


みんなが帰った放課後の教室とか、深夜の台所。
泊まり込みの大会なんかで、夜みんながあちこちの部屋で笑っている甘美な音を
遠くに聞きながらひとり布団に潜り込む安心感。

そういう、社会との距離の置き方がある。
そのくらいの距離感が心地よいと感じる心がある。

乳母として住み込みで働き、
何十万枚も写真を撮りながら発表せずに亡くなった
ヴィヴィアン・マイヤー。

その膨大な写真は死後に発見され、瞬く間に評価を得た。
もし彼女が生きていたら、展示会場を埋め尽くす観衆に、
きっと、うんざりしただろうと思う。
きっと、愛想よく笑顔をふりまいたりはできなかった。

街へ出て、人を撮る。
写真家と被写体という距離感で、人と出会う。
それが彼女の外界との付き合い方だったのだろうと思う。
危険がいっぱいの外界から自分を注意深く守りながらも、
安全地帯から外界に手を伸ばす。
疎ましく思いながら、それでも接点を希求する。
彼女が残した写真たちは、そういう彼女の精神が生きた軌跡だと思った。

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